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Music Tomorrow 2009

火曜日, 6月 2nd, 2009

このところコンサートにでかけることが多いのだが、久しぶりに現代音楽の演奏会に行ってきた。大学時代、同じ門下で一つ年下の友人、斉木由美さんの楽曲が世界初演されたのだ。N響委嘱作品で、多様なパーカッションの編成が印象的なフルオーケストラ作品。私は個人的には、ふだん好んで現代音楽作品を聴くことはあまりないのだが、案内を頂いたりした時は、コンサート会場に出かけて行く。生まれたばかりの芸術作品が、緊張感とともに演奏される、という空気感は、ここでしか味わえないものだ。「モルフォゲネシス」というこの楽曲は、11分の演奏がとても短く感じられ、後半の、おそらく斉木さんの言う「形態形成」の1個の受精卵が60兆個の細胞に分裂する様を見事に顕わしているだろうところは圧巻であり、後頭部から背中にかけてぞわぞわっと鳥肌がたった。ご本人は謙遜して、「まだまだ、書き直さないと。」などどおっしゃっていたが、私は早くCDとスコアを発売してほしいと切に願う。

高校の時、初めてFMラジオで「春の祭典」を聴いたときのことを思い出した。「何だこの音楽は!」と思い、すぐにスコアを買って来て、スコアを見ながら何回も何回も聴いたものである。やはり、優れた作曲家によるスコアと、オーケストラと、指揮者が三位一体に鳴り響いたとき、ホール全体と聴く者の魂が一緒になって揺さぶられ、そして鳥肌がたったり、いろんな身体症状が起こるのだ。久しぶりの経験だった。特に現代音楽のコンサートで鳥肌がたったのは初めてである。

坂本龍一氏は「音楽は自由にする」の中で、「日本中から集めても500人いるかどうかという聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽」が当時(1974年頃)の現代音楽のイメージだった、と述べている。確かに私も音楽を志した当時は、現代音楽のほかに、前衛音楽と語られることもあり、実験くさい印象であまり好きではなかった。ところが近年の日本の現代音楽は、私の耳がようやくついてきたのか、CDを買って聴きたいと思うほどである。原田敬さんの「エコー・モンタージューオーケストラのための」(2008)は、非常に高度なテクニックで書かれた、高品質のホラー映画音楽のようである。誤解を招きそうだが、これは賛辞の言葉である。音楽を聴きながら、私の脳裏には次々と、映像が浮かんできた。この音楽があれば、1本映画が撮れそうである。映画関係者に是非聴いて欲しい作品だ。

藤倉大氏の「secret forest for ensemble」はユニークな作品。舞台上には、小編成のストリングス。そして客席の前方には、舞台に向って左にフルート、右にクラリネット、客席の中央にはファゴット、その両端に2本のホルン、そして客席最後方にはトランペットとトロンボーンが左右にそれぞれ配置され、離れた位置から演奏される。指揮者は舞台上の奏者と客席の奏者を指揮するので大忙しだ。一種の視覚効果と、音響サラウンド効果もある実験的な作品だった。N響のトップのファゴット奏者であろう、昨日のソリストは、曲中フューチャーされていたソロをとても素敵に演奏し、クールでダンディな立ち姿と相まって、惜しみない拍手が送られた。

駅から会場へ向う間、バイオリンケースを抱えたお嬢さんたちが目立つなぁ、と思っていたらやはり、庄司紗矢香さんが、この日のプログラム最後をリゲティのヴァイオリン協奏曲(1992)で飾った。神様が降りてきた演奏。どこか魔術的な曲調だったこともあってか、ときおり指揮者を見上げるその瞳が、演奏前の可憐な笑顔とは別人のようであり、才能ある人、というのは、巫女体質でもあるのだな、と前から4列めの席で観ていた私は実感したのである。

大学時代の恩師、友人にも会って、ほんのつかの間、学生時代にもどったような、不思議なひとときだった。

それでは今日は、この辺で。