愛おしい存在とは
5月25日。
日付けは変わりましたが、
今日は、チルル君の命日です。
幼少のころのチルル君。
この頃の日記がでてきたので読みかえす。
外食が多いが、家で過ごすことが多くなり、
子猫の可愛さというものを日増しに実感
している様子がつらつらと書かれている。
神様はなぜ、こんなに可愛くて愛おしい生き物
をお創りになったのだろう。
10年前はわからなかったが、いまはわかる。
それは「愛」とはなにかを学ぶため。
私は、結婚も出産もしていないので、我が子の
可愛さ、というのは、想像でしかない。
病気になったら変わってあげたい、
どんなときでも守ってあげたい
自分でできることは何でもしてあげたい。
親子の愛はみかえりのない無償の「愛」
だろう。
リーマンショックや、3.11震災直後、
仕事がまったく無い時期があった。
わたしの食料が底をついても、
チルル君のフードと猫砂だけは、
確保しなくちゃ、と思っていた。
最後の1ヶ月、手遅れとわかったチルル君に
わたしができることといったら、そばにいて
あげることだけ。
すこしでも苦しくないように、
すこしでも痛くないように、
ひたすら祈るだけ。
からだをさすってあげたら、グルグルいって
気持ち良さそうにしていて、
それがせめてもの救いだった。
それでも
どんどん弱って行くチルル君の現実を
目のまえにして、
まいにち大量の涙を流しながら、
自分の無力さを思い知った。
無力でほんとに、どうしようもないのに、
わかったことがある。
わたしの奥底のこころのなかに、こんなにも
他者を愛おしいと思える気持ちがあることを。
わたしの奥底のこころのなかに、こんなにも
愛する者の犠牲になってもよいと思える
感情があることを。
チルル君ありがとう。
神様ありがとう。
10年かかってやっと答えがみつかりました。
愛すること、好きすぎるってことは、時には
とっても苦しくて、悲しいこともあるけれど、
やっぱり愛することは素晴らしいことだと思う。
そのことを学ぶために、神様は
可愛くて、可愛くて、どうしようもない
愛おしい存在を、お創りになったのだと。
宇宙から星々を考えるとき、地球は、
愛を学ぶのに良い星、といわれる。
とっても人気がある星なのだそうだ。
そんな地球に生まれてきて良かった。
チルル君に会えて良かった。
天国でまた会おうね!
かあさんより。
さいごまで、お読みいただいて
どうもありがとうございます。