イザナギノミコト&イザナミノミコト
北イスラエル、失われた十部族の大移動
〜失われた十部族は、
四国へもうひとつの国をつくっていた〜
イザヤたちのつくった国、その子孫が、
日本列島を統一して、天皇家にいたります。
葦船にのってイスラエルを脱出したイザヤ一行は
黒潮にのって日本にたどりつき、淡路島経由で、
まず、吉野川のなかの栗島につきました。
「三神山」とよばれる山をへて、
剣山へと、アークは運ばれました。
神話にでてくる高天原(邪馬台国)の中心が、
剣山だと、著者の大杉博さんは言います。
この山上の国(アルツァレト)は2世紀なかば、
深刻な内乱状態でした。
そこに偉大な女王(天照大神)があらわれて、
平和をとりもどしたのです。
天照大神は
イザナギノミコトとイザナミノミコトの子。
彼らは、推定2世紀半ばの人です。
南ユダ王国のイザヤたちと北イスラエル王国の
合併集団が到着したBC700年頃とは、
950年ほどあいだがあります。
イザヤたちが四国の山頂につくった国は、
「高天原」(たかまがはら)とか
「天国」(あまつくに、山上の国という意味。)
と呼ばれ、そこに住んでいたひとたちは、
「高天原族」と呼ばれました。
高天原族のなかから、天照大神の孫である
ニニギノミコトが、
「葦原中国」(あしはらのなかつくに)の
王となったのです。
葦原中国とは?
徳島県の吉野川、中央部に
「高越山」があります。
「高越山」は三神山のなかでも有名で、
「蓬莱(ほうらい)山」ともいわれます。
さらに吉野川をさかのぼったところにある
三好市から吉野川は、南にまがっています。
この平野部を日本神話では「葦原中国」
(あしはらのなかつくに)と呼んでいるのです。
さて、
長くなりましたが、
この葦原中国、
西暦350年頃には、天照大神の孫の
ニニギノミコトの国になっていました。
そして、ここから、
ニニギノミコト
↓
ヒコホホデミノミコト
↓
ウガヤフキアエズノミコト
と三代、国王が続きました。
ウガヤフキアエズノミコトの次に国王に
なったのが、カムヤマトイワレヒコノミコト。
このかたが、幾内(奈良県)へ進攻し、
奈良盆地の南部へ都を建てて初代の天皇
神武天皇になったのが、
西暦300年頃のことです。
どうでしょうか。
ここのくだりはスッキリしますね。
神話なのか実在の人物なのか、
もやもやしていたことが、
すっと腑に落ちました。
(^ ^
というわけで、
日本の天皇家は高天原族の子孫
だったのですね。
以降、代々の天皇が日本列島の統一を進め、
北海道の渡島半島に
日本の松前藩が置かれたのが、1869年、
沖縄の琉球王国が、日本の琉球藩
になったのが、1872年のことです。
時代はすすみ、
第二次世界大戦で日本は敗戦国
となりました。
敗戦後の日本を救ったのが、
日本国の象徴、日本国民統合の象徴として、
絶大な支持と尊敬を集める、
日本の天皇だったのです。
それでは今日は、この辺で。
さいごまでお読みいただき、
どうもありがとうございました。