式町水晶さん復興支援コンサート
土曜日, 3月 4th, 2017
式町水晶(シキマチミズキ)さんの、
東日本大震災復興支援コンサートに
行ってきました。
「水晶」と書いて「みずき」と読む、
素敵なお名前です。
クリスタル君。
ピカピカ光る電飾のついた金のスニーカーを
履いて登場した水晶さん。
きのうは、
4種類のヴァイオリンを曲調によって使いわけて、
素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。
純粋な心の水晶さんは、
バンドのメンバーに感謝、
スタッフの皆様に感謝、
そして来てくださったお客様に感謝、
といって、
舞台の上で涙ぐむ場面もありました。
思わずもらい泣きしてしまうじゃありませんか。
未熟な状態で生まれた水晶さんは、
3歳のときに
脳性麻痺と診断されました。
リハビリのために4歳からヴァイオリン教室に
通い始めましたが、
5歳の時に網膜の病気などで、
失明の危機に遭遇しました。
しかしあきらめずに6歳のときに、
中澤きみ子さんに師事して、
ヴァイオリンの勉強を
本格的にはじめたのです。
その後、プロのヴァイオリニストになるため、
中西俊博さんにも師事しました。
中西俊博さんといえば、
クラシックだけに限らず、ポップスやJazzなど、
幅広い音楽ジャンルで活躍されている
ヴァイオリニストです。
私も、かつて、中西俊博さんの
アルバムをよく聴いた覚えがあります。
クラシックだけではない、多彩なジャンルの音楽、
これは、私の音楽にも通じるところがあって、
とても共感を感じます。
水晶さんも、いろいろなジャンルの曲を
披露して下さいました。
自身で作曲された曲「孤独の戦士」は、
20歳の若者が作曲した
音楽とは思えないほど、
心に染み入る哀愁に満ちたメロディーに
驚くとともに、これからの水晶さんの
作曲家としての活躍を、とても
楽しみにさせてくれる曲でした。
普通に練習してもなかなか弾けるように
ならないヴァイオリンという楽器。
もちろん、水晶さんは、耳が良くて、
音楽の才能もあったと思います。
とはいえ、脳性麻痺という
指を動かすのもままならない状態から、
プロの演奏家になるには、相当の努力を
されたに違いありません。
今では、
とっても明るくて、おしゃべりの大好きな
水晶さんですが、かつては、
偏見やいじめにあい、中学の時には、
ヴァイオリニストへの道を断念しようとした
時期もあったそうです。
そのとき東日本大震災が起きて、
いてもたってもいられなくて、
支援コンサートを始めたのです。
「僕のヴァイオリンで、皆を笑顔にしたい。
コンサートの収益の一部を、復興に役立てたい。」
こうした熱い思いを持っている水晶さんの演奏が、
聴く人の心に響かないわけはありません。
終演後、友人と、カホ姉さんと、お茶を飲みながら、
しみじみと、
「私たちが20才の頃って、何してたかな。。。
何考えていたかな。。。」
「なーんにも考えてなくてぼんやり学生生活を
過ごしてたよねぇ。」
というわけで、
水晶さんからは、
演奏で楽しませていただいたのみならず、
たくさんの学びも頂きました。
最近、若い世代の人から学ぶことが多い、
今日このごろです。
それでは今日はこの辺で。
お読みいただいて、
いつもどうもありがとうございます。