救いのないラストシーン-ミリオンダラーベイビーを観ました
録画しておいた映画を少しずつ観ています。
先日は「ミリオンダラーベイビー」
(2004年公開作品)を観ました。
録画リストにミリオンダラーベイビーを見つけた時
当時リアルタイムで観た映画で、確かアカデミー賞を受賞
していた作品だなと思ったのですがなぜか鑑賞するのを後回しにしていました。
ときは過ぎて、 、 、 。
どんな話だったかも忘れていたのですが観てみると
ラスト30分くらいが救いようのない内容のストーリー展開になっていました。
ネタバレ注意ですので、これからこの映画をご覧になる方は、以下スルーしてくださいね。
貧しい家庭に育った女性がボクサーを目指す
アメリカン・ドリームの成功物語だと思って鑑賞していました。
とはいえ、どことなく暗いトーンで、華やかな「アメリカ??の成功物語」
というイメージからは少し遠いイメージで描かれていたのです。
クリント・イーストウッド監督作品、モーガン・フリーマンが秀逸な演技を見せています。
遅咲きの女性ボクサーが志願してプロボクサーの道を進み
成功を収める様を描いた映画ですが、
最後の30分は、生と死、家族、安楽死、尊厳死、
自殺幇助など「命」や「人生」と言ったような生きることの
根源に関わるテーマを描いていることに気付かされます。
こうして文章にすることさえ大変な重いテーマであり
ブログに書くかどうか迷ったのですが、
よくも悪くもそれだけ
観るものの心に残る作品だと言えます。
2004年アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、4部門を獲得しています。
今のアメリカの状況を見ていますと、もうすぐ売電氏が
辞職しトランプさんが復活の兆しを見せている中で、
何かこう、これまで隆盛を誇っていた事柄、成功物語、
プロスポーツ選手や芸能界のスターの作られ方などが、
虚構の世界にあるものだったのだということが
これまでにも増して色濃く描かれているような気がしてならなりません。
古き良き時代のアメリカ、女性プロボクサーの成功物語を描く中で
その光と闇の「闇」部分として語られているストーリーが何よりも説得力があります。
生きることの意味、お金のこと、成功とは何?
価値観が大きく変化している今、このような巨額の富を生む
プロスポーツの在り方が今後は形を変え、
なくなってゆくのではないかと感じます。
1970年〜80年代、日本の家庭でもプロボクシング、
キックボクシング、プロレスなどのテレビ中継番組が
お茶の間のゴールデンタイムを独占し、私の父も
これらの番組を見るのが好きでした。
今となってみれば、このような現象もまた、
いまを生きる地球人にとって必要な過程であったのだということを
強く認識させられた次第です。
それでは今日は、この辺で。
いつもお読みいただきまして、
どうもありがとうございます。