名古屋に行ってきました-名古屋城にて石垣を見るの巻
金曜日, 3月 18th, 2022
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名古屋城
2週間ほど前のことになりますが、名古屋へ行ってきました。
フラットアースミーティングという講演会に参加するためです。
午前中の集合でしたので、前の日から名古屋入りして
以前から気になっていた名古屋城を訪れました。
地下鉄の駅を出てすぐのところに名城公園入口があります。
例によって、You-Tube用の画像を撮影しながら、
城の入り口(門)まで歩きました。
名古屋名物の味噌カツなどを出すお店の商店街を抜けて、
公園に入り、正門まで、結構な距離を歩きます。
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石垣
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城側から見た門
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門の横の石垣
名古屋城は、学生時代に一度訪れたことがあります。
愛知県の大学に通っていた頃のことです。
30年以上前のことなので、記憶が定かではありませんが、
「あぁ、こんな感じのところだったんだ。」
と少しずつ思い出しました。
門を抜けてしばらく歩くと復元された本丸御殿が
見えてきます。
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本丸御殿(復元)
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西南隅櫓 本丸
ブログを書くのにwikipediaを見ていたら、復元された
正門の写真がありました。
出典:Wikipedia
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正門(復元)
どうやら、私たちが通った門は正門ではなかったようです。
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城の周りのお堀
お城の周りのお堀は深く、これだけの石垣を造成するのは
現代でも大きな工事で、実際に目の前で石垣をみると、
当時の大名たちがどのように工事をしたのか、謎です。
もしかしたら今よりも発達した高度な技術が
あったのかも、という
マッドフラッドの考察に辿り着きます。
名古屋城の起源は、織田信長に敗れた今川義元が建造した
城が起源です。
これには驚きました。
湯島大聖堂の動画で、なぜ2000人の軍、織田信長が、
2万5000人もの大群を率いた今川軍を破ったのか、
一つの可能性を紹介したところでした。
今川義元は、尾張に勢力を拡大するため名古屋城を
建設したのですが、織田信長に負けたことによって、
のちに家康に奪われることになるのです。
いやはや、色々と調べると様々なことがわかって
歴史探訪が楽しくなってきます。
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道案内図
とても良いお天気に恵まれたこの日は、休日ということもあり、
公園の敷地内で、時代劇が上映されていました。
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演目の出演者
名古屋城編の動画の編集を始めました。
できあがりましたら、当欄にてご紹介いたします。
それでは今日は、この辺で。
いつもお読みいただきまして、
どうもありがとうございます。