名古屋城に行ってきたよ-新しい動画を公開しています
土曜日, 3月 26th, 2022
3月はじめに名古屋を訪れたときの動画を公開しました。
やっと編集が終わり、昨夜アップして、ほっとしています。
名古屋城へ行ってきたよ〜文明リセットの痕跡を感じたの巻〜
↓
https://youtu.be/eXQOkcuc3ds
学生時代に6年間、愛知県に住んでいました。
名古屋城に訪れたことがあって、お城の石垣や雰囲気を
懐かしい気持ちで再訪したかったというわけです。
いざ編集を始めてみると、なんと収録した動画のほとんどの
音声が録音されておらず動画のみ収録されていました。
ですがそれが幸いして、石垣のことや、復元された本丸御殿
にかかった費用など、アフレコを入れるために
後から調べてわかったことがたくさんありました。
敷地内に足を踏み入れて、突如現れた本丸御殿に違和感
を感じていました。
学生時代に訪れた時にはなかった本丸御殿、当時は、
大きめの真っ白い石(砂利)が敷き詰められて
見晴らしの良い広大な敷地に気が植えられていて、
それこそ風光明媚な場所だったのです。
ところが気は伐採されて砂利もなくなり、地面は
単なる茶色の土になっていました。(少々興ざめ)
2009年〜2018年にかけて50億円の寄付など
合わせて150億円もの制作費をかけて作られたのだそうです。
動画の中でも話しましたが、税金を投入‘するなら、
他に使うところがあるのでは、と感じた次第です。
この動画をまとめてみて感じたことがもう一つあります。
それは石垣の雰囲気が、武道館や皇居のある北の丸公園、
旧江戸城の門と言われる田安門の雰囲気、お堀に巡らされた
石垣の感じが、とてもよく似ているのです。
江戸城は、1657年の「明暦の大火」によって、
そのほとんどが焼失されたことになっていますが、
果たして本当なのかなという気持ちになりました。
と言うのも、火は、お堀に張理巡らされた水がある
結構な幅広の水路を超えて燃え移ったとされています。
検索すると、ベネッセの江戸城についてのサイトが
ありました。
「明暦の大火」の出荷の原因は、若い娘が亡くなり
彼女が着ていた振袖に、お葬式の火葬の火が燃え移って
お江戸の広範囲を焼き尽くしたと言うのです。
うーん、なんか違う感じがします。
それよりも、今、各地で研究が進んでいる、
マッドフラッドの考察、研究から導き出された説
の方がしっくりきます。
今から400年前、文明リセットがあり、そのときに
ほとんどの建物は消失したけれど、石垣だけが残った。
リセットされた文明は、現在よりも高度な技術、
フリーエネルギーなど、一部の特権階級に独占
されないシステムの社会だったように思います。
だからこそ、大量の石を切り出し、運び積み重ねる
ことができたのではないか、と直感できます。
今から400年前の大名たちに全国各地から石を運び、
切り出し、様々な形の石を隙間なく積み上げるという
技術があったとは、想像できません。
これは、実際に皇居や、名古屋城の石垣を見て感じたことです。
動画には、名古屋城の石垣をたっぷり収めてありますので、
ぜひご覧になってくださったら嬉しいです。
それでは今日は、この辺で。
いつもお読みいただきまして、
どうもありがとうございます。