皇居マッドフラッド体験記その1-田安門と石垣と公園

 

 

 

 

 

北の丸公園にて

 

 

 

連休2日目、やっと今の季節らしい良いお天気になりました。

 

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

 

さて、ちょうど1週間前のことになります。

 

 

マッドフラッド皇居ツアーに参加してきました。

 

 

というわけで、今日からしばらくの間、写真を中心に

 

 

体験記をお届けします。

 

 

 

田安門から見たお堀

 

 

 

この日のコースは田安門から入り武道館→乾門→

 

 

江戸城本丸跡→富士見櫓→大手門へ抜けるというコースです。

 

 

いやはや、よく歩きました。

 

 

集合場所の塔

 

 

高燈篭 常燈明台というのが正式名称です。

 

 

 

入り口

 

 

 

門の横の石垣

 

 

 

石碑

 

 

 

石垣

 

 

 

人の背丈ほどもある大きな石です。

 

 

 

石垣の遠景

 

 

 

江戸時代、こんなに重い石を切り出して運ぶ技術があったのでしょうか。

 

 

 

門を入ってすぐ左側の石垣

 

 

 

全国の大名が運んだとされていて、石に刻まれた紋章がその印だとされています。

 

 

 

田安門(外側)

 

 

 

マッドフラッド視点で見ると、過去の高度な文明で造られた

 

 

石垣がリセットされ、それを利用して門をあとから

 

 

くっつけたように見えました。

 

 

 

田安門(内側)

 

 

 

門を入ってすぐのところにある階段です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狛犬も鎮座していて、不思議に思いましたが、神社があったのです。

 

 

弥生慰霊堂といって、消防士や警察官など、東京都の殉職者の慰霊

 

 

のためつくられた祠、とのことでした。

 

 

 

武道館近くの木

 

 

 

唐突に現れる石垣で囲まれた木です。

 

 

この日、ガイドをして下さったジロウさんによると、

 

 

もともとは、この木の生えているところが地面だったのでは

 

 

ないか ということでした。

 

 

 

不思議な木

 

 

 

武道館

 

 

ラッパーさんのコンサートが催されていました。

 

 

 

北の丸公園内の緑

 

 

 

皇居が北の丸公園と呼ばれているのは知っていましたが、

 

 

こんなに広いとは知りませんでした。

 

 

いつも武道館まで行って帰るか、お花見に行ったときは、

 

 

そのまま半蔵門の方へまわって帰っていたからです。

 

 

そういえば、先月訪れた名古屋城の敷地も広かったなぁ〜。

 

 

 

池もあります

 

 

 

美しい

 

 

 

盛り土をしてつくられた(ことになっている)皇居ですが、

 

 

家康が、こんなに広い面積を埋め立てて江戸の街を

 

 

つくったとは、信じられません。

 

 

 

 

 

 

埋めたのではなく、埋まったと考えるほうが自然です。

 

 

 

 

 

 

それは歩いてみればわかります。

 

 

広大な皇居の敷地、北の丸公園、いままで気にも留めなかった

 

 

事柄が、目から鱗が落ちたように、様々な事象が

 

 

浮かび上がってくることとなりました。

 

 

皇居マッドフラッドツアー体験記、まだまだ続きます。

 

 

 

それでは今日は、この辺で。

 

 

いつもお読みいただきまして、

 

 

どうもありがとうございます。

 

 

 

 

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