皇居マッドフラッド体験記その2-旧陸軍省の建物から北桔橋門へ
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旧陸軍省の建物
少し間が空きましたが、皇居マッドフラッドツアー体験記の
続きです。
武道館をすぎて、広くて美しい公園を抜けると、茶色の
洋館が出てきます。
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旧近衛師団司令部庁舎
明治期の陸軍施設として建設されたことになっています。
マッドフラッドの視点から見ると、前文明の遺跡を
有効活用しているものと推測されます。
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半地下
戦後は「皇居警察」の寮として利用されました。
森林公園としての整備が始まり、いつしか空き家となり、
取り壊しが決定となったそうですが、保存運動が始まりました。
明治の洋風建築として重要文化財に指定され、
「東京国立近代美術館 工芸館」として利用、その後
現在は、工芸館は金沢市に移転され、建物のみ
「国立工芸館」となった建物です。
ガイドのジロウさんによると、この辺り一帯は、
このような建物がたくさんあったが、取り壊されて
この建物だけが残された模様です。
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北白川宮能久親王像
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皇室関係者の銅像
皇居内の地図をみると反対側に、吉田茂の像が建っています。
写真はネットからお借りしました。
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吉田茂像
吉田茂といえば、戦犯として監獄に入れられるも、
GHQと取引して出所し、CIAの手先となって戦後の日本を
米国の属国として導いたうちの一人です。
その人の像が、なぜここにあるのでしょう?
天皇ゆかりのこの場所に。
わかる人にはわかりますね。
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東京国立美術館分室
この建物も、さっきの建物と良く似ています。
フリーエネルギー装置だったと考えられる、
先端の尖った塔が青銅色をしていて、興味津々です。
現在は、中に入ることができませんでした。
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違うアングルから
お決まりの半地下もあります。
そもそも北の丸公園(江戸城)は家康が埋め立ててつくった
とされていますが、このようは広大な土地、小さい丘
ほどもある場所を埋め立てたとは考えられない、
埋まったと考える方が自然である、ということから
ツアーが企画されました。
その証拠の一片を垣間見ることができるのが、
この席の行程です。
代官町通りと首都高都心環状線が隣接するあたりを
通ってゆきますが、なんと、高速道路が下を通っているのが見えます。
新お茶の水駅のあたりも、お堀のトンネルから丸ノ内線の
地下鉄が出てくるところがあって、びっくりしましたが、
このあたりを歩くと、北の丸公園が結構な高さの
ところにあるというのを体験できます。
そして、人為的に梅田者ではない、ということを。
さて、代官町通りを渡って乾門を右手に見て進み
北桔橋門を入って江戸城が建っていたとされる
天守台へ向かいます。
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乾門(いぬいもん)
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乾門あたりの敷地、とにかく広いです。
天気の良い土曜日、皇居を周回するランナーさんたちと
すれ違いながら北桔橋門(きたはねばしもん)へ向かいます。
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北桔橋門手前のお堀
皇居東御苑の入り口に到着しました。
警備員さんがいて、荷物チェックがあります。
マスク着用を言われたら、抵抗せずに大人の対応をしてね
とアドバイスを受けながら進みます。
私たち一行、誰もマスクをしてなかったけれど、
そのまま入れました。
高さが伝わるでしょうか。
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門扉
広い敷地内を歩きます。
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天守台
天守台が見えてきました。
長くなってきましたので、続きはまた明日、書きますね。
それでは今日は、この辺で。
いつもお読みいただきまして、
どうもありがとうございます。