皇居マッドフラッドツアー体験記その4-石室と富士見多聞の不思議

 

 

 

 

 

巨木

 

 

 

天守台を後にして、緑あふれる小径をゆきます。

 

 

 

石室(いしむろ)の標識

 

 

 

ガイドのジロウさんによると、マッドフラッド視点で観る

 

 

見逃せないポイントの石室にやってきました。

 

 

 

石室

 

 

 

江戸城本丸御殿、大奥の脇にある石でできた貯蔵庫のような

 

 

小部屋です。

 

 

内部は20平方メートルほどの広さで、非常の際の貯蔵庫

 

 

とか、火事の時に逃げるための部屋とか用途については

 

 

諸説ありますが謎に包まれています。

 

 

地下通路の入り口でしょう、というのがマドフラ界隈の

 

 

皆さんのイメージです。

 

 

 

内部の様子

 

 

 

立ち入り禁止でしたので、写真はネットからお借りしました。

(出典:千代田区の遺産より)

 

 

 

この石室だけでなく、北の丸公園内の石垣に使われている

 

 

石は、伊豆半島から運んできたものとされています。

 

 

実物を見ると、とてもじゃないけど、こんなに巨大な石を、

 

 

寸分違わずに正確に切り出して、船や、丸太でできた

 

 

車で人力で運ぶなんて、いくら徳川に財力があっても、

 

 

何百年以上かけても不可能だというのは、一目瞭然です。

 

 

私たちは、教科書で教えられたからそれが真実だと

 

 

思ざるを得ません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緑の小径をゆくと、富士見多聞(ふじみたもん)です。

 

 

 

 

 

外観の写真を撮り忘れたので、お借りしました。

 

 

出典:宮内庁webサイト

富士見多聞(西側から)

 

 

 

多聞とは城郭の石垣の上に建てられた長屋で、城廓よりも

強固な防御施設でした。

かつては富士山多聞から富士山を望むことができたと

考えられます。(宮内庁HPより)

 

 

 

実物を見て見ると、城廓よりも強固とはどう考えても思えません。

 

 

素人でもわかります。

 

 

作りもテーマパークの建物程度で、前文明、あるいは

 

 

前々文明の石垣を利用して作られたものでしょう。

 

 

 

内部から見た景色

 

 

 

古い石垣

 

 

 

古い石垣(遠景)

 

 

 

さらに緑の小径を行きます。

 

 

 

鬱蒼としてきました。

 

 

 

巨木

 

 

 

東京の真ん中に、このような大自然があることも、

 

 

埋め立てられたのではなく、何らかの出来事で埋まった

 

 

のではないか、ということを体験できました。

 

 

地下鉄九段下駅から歩き始めて、反対側の大手町駅、

 

 

二重橋駅方面へ近付いてきました。

 

 

こんなに広い土地を埋めて丘を作ったとしたら、

 

 

それこそ家康の時代には、とてつもなく大きな巨人が

 

 

いて、彼らが土や石を運んだのか、とさえ思ってしまします。

 

 

 

それでは今日は、この辺で。

 

 

いつもお読みいただきまして、

 

 

どうもありがとうございます。

 

 

 

 

 

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