皇居マッドフラッドツアー体験記その5-富士見櫓と大手門の石垣

5月 7th, 2022 by mimi

 

 

 

 

 

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富士見櫓

 

 

 

石室→富士見多聞と、広大な北の丸公園内を歩いて、

 

 

富士見櫓を下から見上げる場所にやってきました。

 

 

江戸城本丸跡の南東の隅にある三重櫓です。

 

 

明暦の大火(1959年)で天守が焼失したあとに、天守の

 

 

代わりとして使用された櫓、ということだそうです。

 

 

 

 

 

 

マッドフラッド界隈では、そもそも火事で焼けた、

 

 

というのが本当かどうか怪しいという立場なので、

 

 

何のために建てられたのか謎です。

 

 

名古屋城にも櫓がありましたので、もしかしたら、

 

 

ここには確かに江戸城があったのだという証のために

 

 

建てられた可能性があります。

 

 

きのうのブログに書いた富士見多聞も同様です。

 

 

さて、ガイドのジロウさんはマッドフラッドの観点で見た時に、

 

 

とても興味深い場所に案内してくれました。

 

 

 

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石垣と木

 

 

 

何の変哲も無い感じですが、よく見ると、 、 、 。

 

 

 

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石の間に入り込む根っこ

 

 

 

これは、石化する「木」のモデルだと感じました。

 

 

「石」はもともと「木」であった、というのが最新の

 

 

マッドフラッド研究をしている人たちの間での認識です。

 

 

 

 

 

 

大きな木の切り株のような山(断がい絶壁の岩)など

 

 

世界の至る所にその痕跡があります。

 

 

もし木であったのなら、巨人が木を切って重ねて積み上げて

 

 

石垣にすることも可能だったでしょうか。

 

 

それにしても、この不揃いな形の石がぴったりとはまって

 

 

石垣になっている様子を目の当たりにすると、

 

 

相当に高度な技術があったことは確かです。

 

 

 

こうして大手門方面へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北桔橋門を入ってすぐのところと同様に、石垣です。

 

 

 

 

 

 

たくさんの石垣、これは前文明、あるいは前々文明で

 

 

どのような役割があったのでしょうか。

 

 

そんなことに思いを馳せながら、歩きます。

 

 

 

 

 

 

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緑に癒されます

 

 

 

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石垣の大きさが伝わるでしょうか

 

 

 

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百人番所

 

 

 

百人番所を通り過ぎて、そろそろ大手門に差し掛かる

 

 

という時に、石垣の一個が置いてある場所に出ました。

 

 

 

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重さ7〜8トン(人の背丈くらいの高さ)

 

 

 

写真だと分かりにくいですが、この石を1個、伊豆半島

 

 

から運ぶのだって大変な労力です。

 

 

時間と費用がかかります。

 

 

どう考えても家康の時代にこれら全ての石垣が

 

 

当時の技術と人力で作られたとは思えないのです。

 

 

実際に見るとよく分かりました。

 

 

 

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放置されたような謎の階段

 

 

 

前出の富士見櫓は高さが23メートルの所にあります。

 

 

何となくですが、やはり、お城というよりは、

 

 

古墳や遺跡といった雰囲気もある皇居の敷地です。

 

 

お城があったということにするために、富士見多聞や

 

 

富士見櫓、百人番所などが明治以降に作られたような

 

 

気がしてなりません。

 

 

 

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見えてきた東京駅前のビル群

 

 

 

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門があった名残

 

 

 

このあたりを歩いているときは、下り坂が続きました。

 

 

23メートルから下ってきたのです。

 

 

この広大な北の丸公園を人為的に埋めたとする説は大きすぎて

 

 

不可能を感じました。

 

 

 

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大手門(敷地の内側から)

 

 

 

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内堀通りから

 

 

 

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大手門(正門)内堀通りから

 

 

 

皇居の下には、一体何が埋まっているのでしょうか。

 

 

 

それでは今日は、この辺で。

 

 

いつもお読みいただきまして、

 

 

どうもありがとうございます。